変わる勇気がない人達:記録の番人と悲劇のヒロイン

教育について
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『記録の番人…』だと思っている先輩

病院時代、人のカルテ記録を念入りにチェックする先輩がいた。誤字・脱字や記録抜けの確認をしてくれるのは有難かった。しかし、文章構成や記録の仕方について自分の経験・意見を中心に自論を展開するのには参った。さらに、その先輩を支持する人が複数いるのも悩みの種だった。

問題として、この時は記録委員会というものがなかった。しかし、電子カルテが導入され記録確認の重要性が高まってきた背景もあり、記録委員会を設立。そして適任(?)であるこの先輩に記録委員をお願いしたのだが…。「これは趣味みたいなものだから」と断られた。

結局、別の人に記録委員をお願いしたのだが、事あるごとに記録委員を差し置いてしゃしゃり出てくる。そして、自分の方が優秀だと言わんばかりに記録委員を非難する。断っておきながら、非常にめんどくさい。

そんな先輩を数週間観察していると、ふと気づく。「この人、看護記録の質を上げたいんじゃなく、自分のポジションを守りたいだけだ」と。

委員も断るくせに記録に関して口を挟んでくる。かといって堅実な改善案は出さず、自論を展開するばかり。仲間と一緒に記録に対して文句を言いたいだけ。委員になれば責任が伴う。責任が伴えば自由勝手な事は言えない。つまり、看護記録を改善したいのではなく、責任もない安全地帯から自由に意見を言いたいだけ。さらに言えば、経験を盾に優位に立ちたいだけの自己満足。今の時代なら承認欲求か。

悪いが責任も取らない自己満足には付き合えない。委員を依頼しても断ったんだから黙っといてもらおう。安全地帯のぬるま湯から出てこれない奴を相手にしている暇はない。先輩の言う意見には一理あるが、現場を混乱させていい理由にはならない。

速攻で記録マニュアルを整備した。相変わらず不満というか文句というか、ブツブツ言って来たがマニュアルが整備されルールが出来た以上、ただの迷惑な雑音だ。小さくなった安全地帯に居座り続けるのか、一歩踏み出し変わるのかは先輩の勇気次第。俺の問題ではない。

人員不足を嘆き続ける人達

看護師不足は深刻だ。だが、いくら深刻だからといって嘆いていても始まらない。募集をかけても来ないものは来ない。増える事を期待しつつも、今いる人間でどうにかしないといけないのだ。

看護師不足は深刻だ。だから現場から声を上げて会社に訴え続ける事は必要だ。しかし、会社に責任を押しつけて被害者ムーブかまして何になる?現状を受け入れるしかない。今いる人員で看護の質を維持する為に業務を見直し、無駄を省き、出来る限り簡略化する業務改善が必要だ。

しかし、ここでも邪魔が入る。「人がいない」と嘆き続ける人達。嘆くわりには人を増やす案は持たない。当然、業務改善の案も持たない。そして、こちらが業務改善の提案をしても「人がいないから無理」と言う。

なんだろうな、この人達は。人員不足に対する業務改善案を「人がいないから無理」と反対する。一体我々は何について話し合っているのか分からなくなる。社会人と話している気がしない。まるで小学生と話している様だ。話し合いは一向に進まない。

そう、話し合いが進まないのではない、わざとに進めないのだ。進めてもらっては困るのだ。業務改善をすれば慣れるまで多少の負担はある。上手くいくかどうかも分からない。不安もある。その負担・不安を背負いたくないのだ…は少し違う。

この人達の目的は別にある。負担や不安を背負いたくないのもあるだろう。業務を変えるのが、めんどくさいのも分かる。だが、本当の目的は『悲劇のヒロインのままでいたい』のだ。

「人員不足の劣悪な環境の中、私たちは一生懸命頑張っています」「何度言っても会社が人員を増やしてくれない。私達、可哀そうでしょ?」をアピールしたいだけ。それにより「頑張ってるね」と一目置かれたい、特別視してほしい。これが目的だ。

アホらしいと思うだろうが、こういう人達は残念ながら一定数はいる。あなたの職場にもいるはずだ。去年から同じ不満を言い続けている奴が。毎回、同じ不満しか言わない奴が。腐るほど不満は言うけど、前向きな意見は全く言わない奴が。

簡単な事だ。変わる勇気がないのだ。新たな事にチャレンジする勇気がないのだ。悲劇のヒロインの方が得なのだ。だって、「可哀そうね」と構ってもらえるから。

まとめ

ぬるま湯から出られない奴は、せめて黙っていてくれ。

進もうとする人間の足を引っ張るな。

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